ヒルマンミンクスから始まりベレル、べレット、フローリアン等を手掛ける
戦後、大型商用車の専門メーカーとして再スタートしたいすゞは、英国のルーツ・グループと技術提携を結び、53年秋にヒルマンミンクスをノックダウン生産することで乗用車市場に進出している。62年には自社開発のベレルをリリースするまでになり、翌63年には、ヒルマンミンクスの後継モデルとしてベレットを発売している。
そのベレットの販売が好調に推移したことで、ベレットよりも一クラス上級のモデルとして、67年にはフローリアンをリリースしている。そのフローリアンをベースに開発された4座のグランツーリスモでボディ形式としては2ドアクーペが117クーペである。
66年春のジュネーブショーに出品された後、68年の2月に市販にこぎ着けている。フローリアンの試作名がいすゞ 117だったことからも、両車の関係が分かるだろう。ちなみに、エクステリアデザインは両車ともに、カロッツェリア・ギアが担当。117クーペに関してはジウジアーロが直接手掛けている。
華麗なるグランツーリスモ
68年に市販された117クーペは、81年5月に後継となるピアッツァが登場するまで、長きにわたっていすゞのフラッグシップとして君臨してきた。ほぼハンドメイドに近かった初期モデルに対して、中期モデル、後期モデルでは少しずつ量産対策が進められるとともに、コストダウンにも気が配られるようになった。


