トヨタ・スープラの歴史

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00 スープラ以前 1978年
スープラ以前

1978年

スープラ以前 1981年

1981年

1978年に2代目セリカの上級モデルとして、直6エンジンを搭載したセリカXX(ダブルエックス=A40系)が登場。これがスープラの始祖となった。1981年にセリカ・シリーズはフルモデルチェンジを受けて3代目に移行。XXも2代目のA60系に移行している。この2代目XXのシャシーはひと足先に登場した初代ソアラと共通とされ、新シリーズへの伏線が敷かれることになった。1985年にセリカは4代目に移行。これを機に前輪駆動にコンバートされたが、XXは後輪駆動だった従来モデルを併売。翌年、後継モデルだがネーミングも新たな新シリーズとして初代スープラが登場している。

01 初代モデル A70 1986〜1993年

トヨタ・スープラ 初代モデルEK9セリカXXの後継モデルとして86年にデビュー。先代(2代目XX)と同様、ソアラと兄弟車種の関係を保ち、ひと足早くデビューした2代目ソアラとシャシーを共用(ホイールベースのみ75mm短縮しているが)し、4輪ダブルウィッシュボーンのサスペンションを採用していた。エンジンはすべて直6で、3リットルのツインカムターボ(7M-GTEU=230馬力)を筆頭に2リットルの1G系のツインカムターボ(185馬力)、ツインカムNA(140馬力)、そしてシングルカムNA(105馬力)をラインナップ。マイナーチェンジでパワーアップが図られたほか、1990年には新設計の2.5リットルツインカムをツインターボで武装した1JZ-GTEが登場し、280馬力の自主規制値に到達している。なお、1987年にはグループAレース用のホモロゲーションモデルとして3.0GTターボAが500台だけ限定販売されている。だが実戦では、デビューレースこそ優勝を飾ったものの3リットル+ターボというコンセプトでは重い最低重量を課せられてしまい、以後は苦戦の連続だった。

◆時代背景
1986年:道交法が改正されシートベルト義務化。チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日。ダイアナフィーバーが巻き起こる。岡田有希子が飛び降り自殺。ファンの後追い自殺が社会問題化。伊豆大島の三原山が209年ぶりに大噴火、全島民が島外に避難。ドラゴンクエスト発売。『極道の妻たち』がベストセラーに。

02 2代目モデル A80 1993〜2002年

トヨタ・スープラ 2代目モデルEP3国内2代目となるスープラは、先代モデルより全長で100mm短く、全高で25mm低くなったものの、全幅は65mm拡大という、なんともグラマラスな3ナンバー専用のボディを装って1993年5月に登場。280PS/44.0kg-mを発生する3リットル直6ターボエンジンに、日本初採用となったゲトラグ社の6速MTを組み合わせ、ビルシュタイン社製ショックアブソーバーを使った新設計4輪ダブルウィッシュボーンを採用するなど、リアル・スポーツカーとしての内容を持っての登場であった。その後も1994年には17インチタイヤを採用し、ブレーキも大径化を図る一部改良、翌1995年にはレカロシートの採用、そして1996年4月にはマイナーチェンジ。細部にわたってチューニングを施したリファインを敢行。さらに1997年には新開発ショックアブソーバー「REAS」を採用するなど毎年のように進化を続けていたものの、2002年に生産は終了してしまった。

◆時代背景
1993年:EU(欧州連合)が正式発足(12カ国)し、アメリカ合衆国大統領にはビル・クリントン氏が就任した。このときの副大統領が『不都合な真実』のアル・ゴア氏。国内では土井たか子元社会党委員長が初の女性衆議院議長に就任し、自民党の55年体制が崩壊し細川内閣が発足する。東京湾に全長798mのレインボーブリッジが開通。サッカーJリーグが開幕し、街中ではミサンガが流行した。

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